さよなら寝台特急『北斗星』記念乗車の旅 2015.02.11~02.12乗車【鉄道】

2015年3月14日で定期運行を終了することとなった最後のブルートレイン「寝台特急北斗星」。この列車のチケットの入手が非常に困難でした。
JRみどりの窓口に、何度か早朝5時台から並んで「10時打ち」を、お願いして、何とか、B寝台2人用個室を確保できました。
今回は、時間も予算もないので2月11日19:03に上野駅を出発し車中泊、翌日昼ごろに札幌駅に到着後、1時間滞在して特急と新幹線を乗り継ぎ、2月12日21:23に東京駅に戻ってくるという26時間程、列車を乗り続ける旅となりました。こちらの写真は、東京車輛総合センターで撮影した「北斗星」2010年8月に撮影しました。
苦労して入手したB寝台2人用個室「デュエット」の2階個室のチケットですが、当時はネットオークションで、転売の結果、価格が大変な事に、なっていたようでした。

上野駅には18:44に推進運転(電気機関車が後ろになりバックしながら運転する事)で入線しました。息子も気が付けば立派な「鉄ヲタ」に成長(笑)一眼を構える姿がサマになってきました。

こちらが本日の列車を牽引する電気機関車(EF510 512号機)頼もしい雄姿です!。上野駅から青森駅を担当します。この日は、祝日なので、もの凄い数の「撮り鉄」がいました。

札幌までは16時間12分の長旅。昭和の面影を色濃く残す正統派ブルートレイン「北斗星」ラストランの日まで無事に走り抜いて欲しいと、願ってやみませんでした。

7号車は温かい灯りが漏れる羨望の食堂車「グランシャリオ」定員28名の贅沢空間です。19:45から、フランス料理コース(¥8,500)または北斗星懐石御膳コース(¥6,000)どちらかのコース料理が選べることが出来ました。完全予約制でした。写真は車内のドアに取り付けられた看板。

こんなに豪華ではなかったけど、国鉄時代の特急列車には必ず食堂車が連結されていました(懐かしい)。そして、今回はコース料理が提供されるディナータイムを外して、あえて21:05からの予約不要のパブタイム(軽食)に、息子とふたりで食事をすることにしました。メニューと真剣に睨めっこの息子でありました(笑)。白河駅付近にて。

食堂車「グランシャリオ」は、まさに古き良き時代の香りが漂う雰囲気が味わえました。テーブルランプの灯りが、より気分を高揚させてくれました。白河駅付近にて。

まずは飲み物です、息子はコカコーラ(¥370)、父はビール小瓶(¥530)をお願いしました、揺れる列車で呑むビールは美味かったです。須賀川駅付近にて。

息子の希望で北海道ソーセージ盛り合わせ(¥830)をおつまみとして注文しました。少し辛かったようですが、これも良い思い出と、なったことでしょう(笑)。郡山駅付近にて。

そして、私はビーフカレー(¥1,230)。十代の頃は食堂車で食事をするときは、予算が無くいつもカレーでした。懐かしい味でしたが、かなり味がよくなっているように感じました。お漬物が付いてきました。郡山駅付近にて。

息子はビーフシチューセット(¥2,570)父のカレーの倍近い値段のセットを注文する息子です(恐ろしい)。スープと紅茶orコーヒーがついてきます、味はかなり満足だったようでした。二本松駅付近にて。

2013年に福島で復興事業に携わっていたので、福一原発事故の事は、けっして忘れません。東京を出るときもビデオとカメラおよび線量計はセットで持参しました。
因みに上野駅の線量は0.038でした。福島駅構内は0.236で、これを年間被ばく量に換算すると福島駅は1ミリシーベルト程度となりますので、安全!心配なし!と改めて確認できました。
今回は、息子に原発事故による放射線量は4年経過しても、完全に無くならないことを教える旅でもありました。いつの日か、息子を連れて、福島市内~二本松市内~郡山市内を巡りたいと思いました。懐かしい福島駅にて。

福一原発事故から当時4年が経過しておりました。食堂車内でも、空間線量を計測してみました。もっとも高い数値を現したのは、福島駅を出発した5分後で0.32μSV/ hでした。これって一般の人が浴びても差し支えないとされている、1年間の被ばくの基準である1ミリシーベルトを超えてしまう値でした。
(これは、世界の放射線医学などの研究者でつくるICRP=国際放射線防護委員会の勧告に基づいて日本が採用しているものです…年間被ばく量1ミリシーベルト以下と定めている)。
福島駅を出発して5分後。

仙台駅あたりで酔っぱらって寝てしまい、世界最長の海底トンネル「青函トンネル」を通過して、気が付いたら列車は12日早朝に、函館駅に8分遅れで無事到着していました。
昭和の面影を色濃く残す「北斗星」数少なくなった正統派ブルートレインですが、老朽化で車体側面がかなり傷んでおり、まさに満身創痍で、最後まで無事に走り抜けて欲しいと願うばかりでした。函館駅にて。

この赤い機関車は青森駅から函館駅を担当(牽引)する青函トンネル専用の電気機関車、本日はED79 14号機でした。「鉄子」さんが真剣に写真を撮っていたので、一緒に写真に納めました(笑)最近は鉄道写真を撮る女性を本当によく目にしますね。函館駅にて。

今回乗車した「デュエット」の室内の様子をご覧ください。
こちらがB寝台2人用個室「デュエット」の室内です。ベットが横に2つ並び、子ども連れでも安心のひと部屋です。上段の個室で眺望が良いので息子も大満足のようでした。大沼駅付近にて。

廊下側から撮影した室内の様子です。二つのベッドが通路をはさんで並行に並びます。テーブル、読書灯、BGM操作パネル、灰皿などが機能的に配置されています。この上段室は廊下からは室内ドアを開けて階段を4段上がるとベッドに到達します。上段室、下段室ともに広さは約3.7㎡あります。大沼駅付近にて。

B寝台2人用個室「デュエット」の室内ですがこのタイプもあるようです。この写真は親戚からいただいたものです。

朝ご飯は北斗星の車内販売限定の「グランシャリオ弁当」(¥1,100)にしました。車体の色と同じブルーの包み紙が気に入りました。本当は食堂車で厚切りハムが出る「洋定食」が食べたかったのですが…かなり混み合っていましたので諦めました。

「グランシャリオ弁当」のふたを開けてみると、ご飯の上に、しらすぎっしり、おかずはシャケやホタテ、鶏肉、あさりなど北海道の食材がふんだんに使われており…とても美味しかったです。ご馳走様でした。

因みにですが食堂車で厚切りハムが出る「洋定食」この写真は親戚からいただいたものです。

12日の早朝に函館駅を出発すると車窓を流れる風景がだんだんと北海道らしくなってきます。ここからは長万部駅から南千歳駅あたりまでの車窓と車内の様子をご覧ください。
北斗星は長万部駅から函館本線を離れて室蘭本線に入ります。沿線は、すっかり雪景色となり北海道の大平原を満喫できました。この写真は進行方向左側から「写万部山」方向を撮影しました、こんな風景がずっと続きます。車内アナウンス「次の停車駅は洞爺駅です」。長万部駅-洞爺駅間にて。

そして、進行方向右側は穏やかな内浦湾(噴火湾)を見ることができます。長万部駅-洞爺駅間にて。

最後尾(上野駅より1号車)に車掌室があります。列車運行の安全を昼夜守る車掌さんに感謝いたします!!。ただ今、旅情たっぷりの車内放送中です。苫小牧駅-南千歳駅間にて。

最後尾の車両まで足を運べば、こんな素敵な風景に出合うことが出来ました。北海道ならではの一直線に延びた鉄路です。苫小牧駅-南千歳駅間にて。

雪景色を見ながら思いに耽る旅人って感じでしょうか。ゆっくり流れる車窓に心が癒されるのでしょう。寝台列車の特等席…実は廊下の補助いすです、私のお勧め席です。
1号車Bコンパートメントで撮影しました。車内アナウンス「次は南千歳駅に停まります」。苫小牧駅-南千歳駅間で撮影にて。

車掌さんに「車内改札用の改札印」を貸してもらい、自ら乗車券にスタンプ…車掌体験を満喫です。サービス精神旺盛なJR北海道の車掌さんに感謝でした。

スタンプだけでは物足りず(笑)JR北海道の車掌さんの制帽をお借りして記念撮影…息子にとって、これは一生の思い出になったことでしょう。

無事に札幌駅に到着しました。親子共々まだまだ乗っていたい気分でした(笑)16時間以上も列車に乗り続ける体験は、なかなか味わえないことですね。

そのまま札幌駅を後にするのが忍びなく『北斗星』が回送で走っていくのを、お見送りしました。寝台列車に、また乗ることを親子で約束し、その日を心待ちにする父でありました。

2015年3月14日に定期運行を終了した寝台特急『北斗星』に2月11日夜、上野駅から息子と二人で乗り込みました。上野駅から16時間以上かけて1214.7キロメートルを走破し、定刻通りに札幌駅に到着する姿に感動しました。車内では多くの方々との出会いがありました。鉄道関係への就職活動中の二十代の学生さん、お住いの郡山から上野駅まで、わざわざ上京して『北斗星』に乗り込んだ三十代のおにいさん、余市へひとりで旅行中の六十代のおじさん…。
大きく成長した息子ですが、車掌室へ入り込み車掌さんに「車内改札用の改札印」を貸していただき、自ら乗車券にスタンプ…更に制帽を借りて記念撮影まで…夜汽車の旅の素晴らしい想い出はいつまでも心に残っていることでしょう。
「北斗星」が完全運行廃止まで、大きな事故もなく安全運行で、ラストランの日を迎えられて本当に良かったと思いました。